別部署で起きたトラブルだが、アドバイスが欲しいという相談を受けた。
とあるトラブルが発生して、原因らしきことを別の人から言われたので、それを客に回答したいけど、それが何を言われたのかわからないから教えて欲しい、と。
ところが、私はそのシステムを担当しているわけではないので、さっぱり質問の意味がわからない。
その人から聞き取りをしても、その人自身がシステムをわかっていないため、こちらの回答に答えられない。
しょうがないから、単純に考えたことを言ってみたけど、思うような答えをあげられなかった様子。
これが私の限界だ。
システムを知らないのだから。
しかし、システムを知らなくとも、トラブルシューティングのやり方はあまり変わらない。
原因らしきことを言われた。
それがなぜ、そういう風に言われたのか。
まず、ここから考えなければならない。
この人の場合、”なぜ”がない。
言われたことを、そのまま客に回答することが仕事だと思っているから、システムを理解することなく伝えようとするから、わけのわからない相談と、不十分な回答を得るという結果になる。
どうしてこうなるのかが一番大事だと、以前この人に言ったことがあるが、結果は別方向にキレただけ。
その時点で私の中ではこの人は終了。
考える訓練を全くしてこなかった結果のこの人で、これからもそういう風に考える気がないのでキレたのだ。
残念だが、心機一転しなければ、難しい。
今いる連絡不備の若者も、この傾向がある。
作業を言い渡されたので、それを行っている。
ところが進捗を聞いても、何のためにやっているのかわからないので、全く違う答えが返ってくる。
ここで、教え方が悪いせいだ!とキレるようなら終了だけど、まだそこには至っていない。
至らせないようにするのも、年長者の義務だと思ってやっているが、恐ろしく要領が悪く、こっちがキレそうだ。
たかだが一つファイル作るのにも、理由がある。
その理由を考えることなしに、有用なファイルは作れない。
常に、なんでこうなるのか考えるようにしないと、成長しないのだ。
その点で、残念ながら相談してきた人は終わっている。
もう成長が見込めない。
でも、こちらがそう判断していることに気づいていない幸せ者だ。
だからこのまま適当にあしらっていこうと思う。
本来なら、こういうあしらい方は好きではない。
相手から聞き取ることも、自分の成長の一つになるし、その機会を逃すのは馬鹿らしい。
だが、たまには全く話ができない人もいるのだ。
そこは割り切って、接して行こうと思う。
そういう人種もいるってことで。
とあるトラブルが発生して、原因らしきことを別の人から言われたので、それを客に回答したいけど、それが何を言われたのかわからないから教えて欲しい、と。
ところが、私はそのシステムを担当しているわけではないので、さっぱり質問の意味がわからない。
その人から聞き取りをしても、その人自身がシステムをわかっていないため、こちらの回答に答えられない。
しょうがないから、単純に考えたことを言ってみたけど、思うような答えをあげられなかった様子。
これが私の限界だ。
システムを知らないのだから。
しかし、システムを知らなくとも、トラブルシューティングのやり方はあまり変わらない。
原因らしきことを言われた。
それがなぜ、そういう風に言われたのか。
まず、ここから考えなければならない。
この人の場合、”なぜ”がない。
言われたことを、そのまま客に回答することが仕事だと思っているから、システムを理解することなく伝えようとするから、わけのわからない相談と、不十分な回答を得るという結果になる。
どうしてこうなるのかが一番大事だと、以前この人に言ったことがあるが、結果は別方向にキレただけ。
その時点で私の中ではこの人は終了。
考える訓練を全くしてこなかった結果のこの人で、これからもそういう風に考える気がないのでキレたのだ。
残念だが、心機一転しなければ、難しい。
今いる連絡不備の若者も、この傾向がある。
作業を言い渡されたので、それを行っている。
ところが進捗を聞いても、何のためにやっているのかわからないので、全く違う答えが返ってくる。
ここで、教え方が悪いせいだ!とキレるようなら終了だけど、まだそこには至っていない。
至らせないようにするのも、年長者の義務だと思ってやっているが、恐ろしく要領が悪く、こっちがキレそうだ。
たかだが一つファイル作るのにも、理由がある。
その理由を考えることなしに、有用なファイルは作れない。
常に、なんでこうなるのか考えるようにしないと、成長しないのだ。
その点で、残念ながら相談してきた人は終わっている。
もう成長が見込めない。
でも、こちらがそう判断していることに気づいていない幸せ者だ。
だからこのまま適当にあしらっていこうと思う。
本来なら、こういうあしらい方は好きではない。
相手から聞き取ることも、自分の成長の一つになるし、その機会を逃すのは馬鹿らしい。
だが、たまには全く話ができない人もいるのだ。
そこは割り切って、接して行こうと思う。
そういう人種もいるってことで。
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matさん
「思考の習慣」あるいは「思考の訓練」は、
生活に必要な才能と思います。
目的は情報処理で、人間も機械も、
情報で動作していると考えています。
人の気持ちは、情報の一部だと考えています。
利害が一致しないと気持ち悪いので、
仕事の効率も悪くなりますよね・・・
「思考の習慣」あるいは「思考の訓練」は、
生活に必要な才能と思います。
目的は情報処理で、人間も機械も、
情報で動作していると考えています。
人の気持ちは、情報の一部だと考えています。
利害が一致しないと気持ち悪いので、
仕事の効率も悪くなりますよね・・・

> 「思考の習慣」あるいは「思考の訓練」は、
> 生活に必要な才能と思います。
こういう訓練はすべての人に必要だと思います。
才能だとしたら、発揮しやすい人とそうでない人と
いるとは思いますが、やって損はなさそうな気がします。
> 生活に必要な才能と思います。
こういう訓練はすべての人に必要だと思います。
才能だとしたら、発揮しやすい人とそうでない人と
いるとは思いますが、やって損はなさそうな気がします。
