いろいろ考えることを止められない、不幸脳の戯言。
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食べたいものが解る幸せ
本日の食事を何にしようか悩む人たちがいる。
食事の支度をするのは、大抵女性なので、夕食を何にしようかと、何気ない会話に上ることが多い。
日本人は、毎食食事内容が異なると言ったのは、海外留学のあるとある女性だ。
アメリカ留学の経験を持つ彼女は、あちらの夕食なぞ、毎日一緒で、頭を悩ますことなんぞなかったようだと言っていた。

ふむ、太るはずだ。

毎日同じような肉料理、冷凍食品、ファーストフードでは、自分の身体が欲しているものが解らないのではないだろうか。

食事=エネルギー摂取

こう考える人にとって、何でもいいからおなかいっぱいになれば満足だろうからだ。

食べたいものというのは、その時によって異なるはずなのだ。
ある時は肉、ある時は魚、全く食べたくない時もある。
そうやって、身体はバランスをとりながら過ごしていっているだろうに、腹を満たすことだけが優先されている気がする。

だが、家族を持つ奥さんはそうそう好き勝手もできないらしい。
で、自分が今食べたいものを考えずに、どんな夕食が良いかを話題に上らせて、ヒントを得るのだ。

私は、これを不幸だと思う。

なぜ不幸なのかというと、何が食べたいかがわからないと、食欲が満たされないからだ。
ファーストフードも、一年に数回食べるけど、毎日なんていらないし、レストランの食事も、コンビニの弁当も、一年に数回だからこそ、食べてもいいと思えるものなのだ。

今、身体が欲しているものが解って、それを摂取できた時美味しいと感じるし、とても幸せだと感じる。
逆に、解らないと、何が不足しているのか解らないので不幸なのだ。
食べたくない時は食べないでいいのだと思う。

その失敗例が野菜ジュース。

最近、野菜が高騰しているため、買い控えていた。
しかし、野菜が不足しているだろうと思い、手軽な野菜ジュースのボトルを買ってみた。

まずい。

どうしても、まずい。

味がイマイチ。

で、これをオレンジジュースで割って、後少しで飲み終えるとこまでようやくきた。
普段気にしていないから、確かに野菜不足だろうけど、加工品を摂取しなきゃならんほど、私の体は野菜を欲していないらしい。
不味いと判断した私の身体が、そう言っていた。

”「身体」は、その日その時の体調に合わせて、その時に必要なものを間違いなく教えてくれるものなのです。”
こう述べているのは、精神科医の泉谷閑示さん。

まさにその通りだと思う。

私のここ数日は、湯豆腐ばかりだ。
ネギと豆腐ともみじおろし。
なんて栄養の偏った食事だろうと思われるだろうが、私の身体はそれで満足している。
そして今日は5目ひじきが食べたい。

食べたいものが解る幸せって、生きる幸せだと、本当に思う。
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絶対音感
幼少の頃、ピアノを習っていたことがある。
外で虫とって遊ぶのが楽しくてしかたなかったこの頃、練習が嫌で嫌でしかたなかった。
嫌という気持ちは省いても、きっと私にはむいてない能力だったのだろうと思う。

なぜなら、歌がへたくそだからだ。

楽譜を見て、弾くことはできるのだけど、それがドレミ以外の言葉(つまり歌詞)になると、途端に音がわからなくなるのだ。
これは他の楽器でも同じで、オーケストラがラの音に合わせるのを聞いて、違う音にしか聞こえない。
ピアノの和音を聞いて、音を言い当てることはできても、ギターのコードが同じ音に聞こえない。

つまり、音痴なんだなあとずっと思っていたのだが、犬を飼い始めて、ある能力を発見。

犬はご存じのとおり、人が言語で言い表すところの、ワンワンとしか言わない。
だけど、このワンワンは犬によって音が違うのだ(犬の気分によっても音が変わる)。
遠くで吠えている犬が、知り合いの犬かそうでないか、判別ができる。

ところが、これを他の飼い主に言っても、感覚がわからないらしい。
同じワンワンにしか聞こえないというのだ。

おもしろいなあと思っていたら、「超バカの壁」(養老孟司著)を読んで納得した。

どうやら、さまざまな感覚を同じ情報に変換するのは、人間的な能力らしいのだ。
動物は「違う」という感覚しか持たないので、絶対音感の持ち主なのだとのこと。

なるほど!

ワンワンと鳴くのは犬である。 これが人間的な能力。
知らない犬であっても、音が違うということで判別できる。 これは動物的絶対音感。

音の区別がつくということは動物的であり、変換できないということは、人間として能力に劣る、と。
犬の声の聞き分けなんて、何の役に立つもんでもないが、自分の音痴の原因が解った気がした。


ところで、この著者は「バカの壁」でものすごく売れたそうだけど、読んだことがなかった。しかし、たまたま図書館で見つけた「超バカの壁」を借りてみた。
テロを起こす心理は、ガチガチの壁に囲まれた思想のなれの果てとあるけども、最前線にいるやつはそうだとしても、こいつらを陽動させた奴らは違うと思う。
自分の利益が絡んでいるはずだ。

利益が絡まないで、戦争なんか起きるはずがない。
トルストイの「イワンの馬鹿」にもあるが、イワンが争うことをしなかったのは、利益に興味がないからだ。
よりよい暮らしのために、人は戦争をする。
くだらないと切って捨てるのは簡単だけど、開発への原動力でもあるから、難しいとこ。

”足るを知る”の意味を今一度考えたいと思う。

あ、この本の感想だけど、ものすごい勢いで反論するほどのものではない。
こういう考え方もあるね、
根拠が見え隠れするような物言いだけど、この本には述べられていないから、自分で調べようね、
そういう本だ。
あ~・・・・
最近、こう言って、黙ってしまう自分がいる。
生活で少し金がかかる出来事が発生したため(車の修理)、今、職は失いたくない。
失いたくないけども、1年近く付き合ってきて、遥か彼方、全く違う方向を向いて生きている人らというのが解ったため、反論もしなけりゃ、怒りを抱くこともなくなった。
で、タイトルのようなつぶやきが漏れてしまうってわけだ。

つくづく、よくこの会社が存続できるなあと、関心しきり。

先日、就職のことで、若者の話をちらっと聞く機会があった。
女性なのだが、大学生で、まだ就職が決まっていないのだそうだ。
第一志望の業界にはすべて落ち、目線を変えた会社でも良い返事は聞けず、もうどこでもいいから就職したいと言っていた。

自分にも覚えがある。

大学4年の夏休みでも就職が決まっておらず、いくつか受けた会社は落ちて、それなのに研究にのめり込んでいたため、両親に怒られていた・・・・
第一志望は研究職だったが、氷河期の三流大学生をとるわけもなく、じゃあと目線を変えた会社を受けるも、途中で嫌になってしまい、気を入れることができなかった。
結局は、研究にのめりこんだのが幸いし、教授に就職を世話してもらったのだが、この彼女にはそういう縁はないらしい。
文系と理系の違いかもしれないが、話を聞いていくうちに、彼女の最後の結論は、専業主婦になって子供を育てたい、となる。

専業主婦になるのであれば、別に、今がんばって就職しなくてもいいじゃないかと、私は思うが、2,3年は就職して社会に出たいのだそうだ。

私は面接官ではないし、あなたはそういう希望なのねと思うだけだが、こういう人を、果たして今時の会社が採用するだろうか?
2,3年後には会社辞める前提の、つかえない新人を、どこのまともな会社がとるだろうか?

そんな風に思っていたが、世の中、まともな会社だけではない。良い例が今働いている会社。
私が感じるまともさが、全く通じない会社もあるので、彼女のような人でも採用する可能性がある。
彼女がそういう会社と出会えるといいなと思う。
だけど、もし本気で専業主婦になりたいなら、今結婚してくれない彼氏を捨て、若い子を養いたいという結婚相手を見つける努力をしてもいいのではないだろうか。

何はともあれ、社会はマッチングだから、自分に合った場所が見つかるといいね。

今時の若者にも、ため息ついてしまう会社にも、どーでもいいやと切り捨てる私にも、

幸あれ!
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